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両膝同時の人工関節置換手術の体験談


 私は関節リウマチという病気にかかっており、
平成14年4月、30歳で両膝人工関節置換術を受けました。
この病気と闘っている方たちの何かのお役に立つことを願って、
発病から現在までの経過を、人工関節体験を中心に記したいと思います。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-1発病-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

■関節リウマチについて

関節リウマチは、軽いものから重いものまで、症状は患者によって様々ですが、
関節の滑膜という膜に炎症が起きて、痛みや腫れ、こわばりを生じ、
この状態が持続すると、やがては軟骨や骨が破壊され、日常動作に大きな支障をきたします。

■発病(24歳)病院へ(発病から半年後)
 私の場合は足の痛みから始まりました。
歩くときに足の裏が痛く、靴が合わないのかなと思いました。
次に、手指の上から2番目の関節が紡錘状に腫れました。
そして両手首、両膝と、痛む関節が次々に増えてゆきました。
自分でおかしいと気付いてから半年たった頃には、
階段の昇り降り、歯磨き、ぞうきんをしぼること、ストッキングをはくこと、寝返りをうつことさえも激痛が伴い、
こらえられなくなって、病院を受診し、関節リウマチと診断されました。

■治療、病状の進行
 治療は、ステロイド剤、抗リウマチ薬、非ステロイド系消炎鎮痛剤など、
数種類の薬を組み合わせて飲み、また膝に関節液がたまると、
注射で抜いたあと、生理食塩水で洗浄したり、
ステロイド剤や軟骨の栄養剤を注入するなど行い、
発症初期ほどの激痛はなくなりましたが、
炎症をコントロールすることはできず、関節の破壊は徐々に進行してゆきました。

■仕事を辞めて(発病から3年半〜)
 発病してから3年半、通院治療しながら勤めを続けていましたが、痛みと、関節がどん
どん壊れてゆくことへのおそれから、辞めてしまいました。
その後は、家でじっとしていることが多く、外出することも少なくなってゆきました。

 安静にしていたことがよかったのでしょう、炎症はかなり低く、
正常に近い程度に抑えられるようになりました。
しかし、いったん壊れてしまった関節は元に戻すことはできません。
膝のレントゲン写真を見ると、軟骨がすりへったために関節の間隔が狭くなっていました。
立った状態で膝を曲げると、上の骨と下の骨が擦れ合うからか、音がしました。
立ち上がるたび痛みのために顔をしかめ、歩く姿勢は膝をくの字に曲げ、腰をかがめていました。

■手術の決意(発病5年目の秋)
 この先いったいどうしようと不安な毎日を過ごしていたところ、
リウマチの医療講演会に行き、そこで他のリウマチ患者の方々と出会いました。
その中に両膝の人工関節置換術を受けた方がおられました。

この手術は、壊れてしまった関節に人工関節を入れ、痛みを除き、関節の機能を回復するというものです。
その方はごく普通に立ったり歩いたりしておられ、
言われないと人工関節を入れているとは全くわかりませんでした。
その方を見て、私の心に希望と勇気が生まれました。
私もきっと再び元気に歩けるようになってみせる。私は手術を決意しました。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-2入院から手術前日-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

2■入院から手術前日まで(発病6年目の春。決意から半年後)

■〜入院1日目〜各種検査、自己血採血、車椅子

県内の、人工膝関節置換術の症例が豊富な病院に入院しました。
 身長・体重測定、血液・尿検査、心電図、胸部レントゲン、肺活量の測定を行いました。
 血液検査の結果、やや貧血であるとのこと。

手術にともない輸血を受ける必要があるのですが、自己血輸血といって、自分の血液を前もって採っておいて、
それを再び自分の体に返すという方法がとられます。その日はまず400cc採血しました。
 車椅子を使い始めました。想像していたよりも、車椅子は軽く、小回りがきき、
使いやすいものでしたが、手首に負担がかかり痛みました。

■〜入院2日目〜注射、リハビリ
造血剤の注射を打ち始めました。 手術前からリハビリが始まりました。
仰向けに横たわり、ひざの屈伸をしたり、ひざを伸ばした状態で上下左右に動かしました。
しかし、ひざの痛みのために、足を支えてもらわなければなりませんでした。

■〜入院3日目〜画像撮影、内科診、可動域
ひざのレントゲン、断層撮影、そしてひざ以外に痛む関節(両手、左足首、右足部)のレントゲンをとりました。
内科の診察では、1日目に受けた検査の結果から、問題ないと言われました。
関節の可動域を調べました。

■〜入院4日目〜(インフォームドコンセント)、歩行分析
家族と一緒に、主治医から手術に関する説明を受けました。
その時点のひざの状態。痛みを軽減し、機能を回復させるために、人工関節術が有効であるということ。
合併症について。
人工物なので長年のうちに磨耗したり、あるいは骨と人工関節が接するところでゆるみが生じたりする。
再置換は覚悟しておくこと。平均で15〜20年もつと言われているが、
人によって差があり、早ければ3〜5年で入れかえる人もいるということ。
まれに感染することがあり、場合によっては再び開いて取り出さねばならないこと。
切開することにより、脂肪などが血流にのって心臓、肺、脳などに運ばれ、
その部位でつまって塞栓症を起こす可能性が、低いけれどもゼロではないこと。

輸血はできるだけ自己血のみを使うようにするが、足りなければ他の人の血液を使わねばならず、
その場合ウイルス感染などのリスクがあること、等々の説明を受けました。
これらの説明を受けたとき、あらためて手術のこわさを認識しましたが、
周囲の患者の方々はみなそれを乗り越えてきたのだと思うと励みになりました。

手術前の歩行分析をしました。体の側面の数カ所に測定器械をつけて歩くと、
コンピュータにデータが取り込まれ、画面上に歩く形が線状に連続的に表示されます。
手術時の麻酔を受けるときの態勢の練習をしました。背中を丸め、縮こまります。
ももやふくらはぎの太さ、足の長さを測ったり、筋力を調べました。

■〜入院5日目〜クリーンルームへ、麻酔の説明
 自己血を200cc採取しました。ほんとうは400cc採りたかったのですが、貧血のため採れませんでした。
 この日からクリーンルームという、感染を予防するための部屋に入りました。
手術までは自由に出入りできますが、手術前日から空気清浄器が作動し、
手術後出入りするときは、マスクとガウンを着用しなければなりません。

 車椅子から、ベッドやトイレの便座に移動する練習をしました。
手術後丸5週間は全部の体重をかけることができず、また、私の場合両ひざ同時に手術したため、地に足をつく
ことができなかったので、板をわたして、その上を手とおしりを使ってスライドし、移動しました。
 麻酔医からいくつか質問をされ、また説明を受けました。
手術時は、腰椎麻酔を行って下半身をしびれさせ、
また、必ずしもする必要はないのですが、軽く全身麻酔をかけ、揺さぶられれば目が覚める程度の状態にします。
また、術後翌日から機械を使ってひざを曲げ伸ばしするのですが、
そのときの痛みを軽減するために、麻酔時に脊髄の神経の近くに
麻酔薬を注入する管(硬膜外チューブ)を取り付けます。

■〜入院6日目〜排泄の練習
 ベッド上で尿器を使って排泄する練習をしました。
術後数日間はベッドからおりられないので、排泄はベッド上で行わなければなりません。

■〜入院7日目〜休日
 この日は日曜日で、面会に来てくれた人と話したりして、終日ゆっくりと過ごしました。

■〜入院8日目〜手術前日
 いよいよ手術前日です。抗生物質のテストをしました。手術部位の毛ぞリをしました。
テレビやそのほかの不要品が撤去されました。
主治医や看護婦長が様子を見に来てくださり、言葉をかけて頂きました。
夜8時頃浣腸をしました。12時以降は手術終了後許可がおりるまでは絶飲食です。
その日の夜は、寝つきはよくなかったものの、なんとか眠ることができました。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-3■手術当日(4.9)-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

3■手術当日(入院から9日目)

■手術前
入院から9日目、手術当日の朝を迎えました。
こわくもありましたが、先生方におまかせするしかないという気持ちでした。
6時すぎ、血圧測定、採血、検温。手術衣に着替えました。
点滴が始まりました。尿をとる管が膀胱に入れられました。
足を消毒し清潔な布でくるみました。
肩に麻酔をかかりやすくするための筋肉注射を打ちました。
9時前、部屋の中に家族が入ってきて、言葉をかわしました。


■手術室へ。
手術室へベッドごと運ばれて行きました。
手術室内に入り、送風機でほこりを落としてから、手術台の上に移動。
左側の耳元に看護婦さんがついていてくれて、何の作業が進行しているのか説明してくれました。

心電図をとりました。横向きにされ、背中を消毒しました。
背中を丸め、縮こまり、麻酔を受けるための体勢をとりました。
局所麻酔を3回打ちました。硬膜外チューブが入れられました。
腰椎麻酔を打ちました。朝の採血の結果が入ってきました。
貧血の指標となるヘモグロビンが10くらいで悪くないと言われました。
腰椎麻酔が効いたかどうか、冷たい脱脂綿を当てて調べました。
効くまでにしばらく時間がかかりました。
硬膜外チューブから弱い麻酔薬が入れられました。

目の前に足が見えないよう布をかけた台が置かれました。
左側はまだ完全に麻酔が効いていませんでしたが、右側からいくということで手術が始まりました。
9時半をまわっていました。そのあとわからなくなりました。
12時頃目が覚めました。まだ手術は終わっていませんでした。左足を縫合中と言われました。
しかし、麻酔が効いていて全く感覚がありませんでした。気分は悪くありませんでした。


■手術後
手術が終わり、クリーンルームへ戻りました。ひざのレントゲンを取りました。
右手には点滴、膀胱には尿をとるための管、両ひざには血を抜くための管、
背中には硬膜外チューブ、左腕には血圧測定器、
左指に体内の酸素量をはかる器械、
鼻から口元にかけて酸素吸入用のマスクと、
四方八方つながれて身動きままならない状態でした。

血圧の表示を見ると、上が80-90、下が40-50くらいでした。
そのうち、なんとなく気持ち悪いような感じがしてきました。
血圧を見ると下が30台になっていました。すぐに看護婦さんに知らせました。
胸が苦しく、動悸がし、呼吸が荒くなり、吐き気がしました。

しばらくしたらおさまりました。自己血が200cc戻されました。
吐き気の原因かもしれないということで、硬膜外チューブからの麻酔薬が一時的にストップしました。
熱が出ました。麻酔がとれてくると、まっすぐ上向きでじっと寝ていることがつらくなってきました。
つらさを何度か訴えましたが、翌朝まではそうしていなければならないということでした。
下痢になってしまい、おしめを当て、看護婦さんに何度も取り替えて頂きました。
気分が悪く、聞かれることに答える以外はしゃべりたくありませんでした。
食欲は全くなく、夕食は見るのもいやでした。
その日の夜はなかなか寝れず、入院生活の中で一番長く、しんどかったです。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-4■手術後退院まで(4.10-6.8)-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

手術後の熱は手術の翌朝には下がりました。下痢も翌々日にはおさまりました。
食欲も、最初はフルーツぐらいしかのどを通りませんでしたが、徐々に回復していきました。

■〜術後1日目〜
 手術翌朝、ひざがどのくらい曲がるか試されました。
左が140度くらい、右が120度くらいだと言われました。
術中に試しに曲げたときは両方とも145度くらい曲がっていたと言われました。
左はそうでもなかったのですが、右は曲がる限界までくると非常に痛かったです。


■CPMを使った訓練
 手術翌朝から、CPMという機械を使って、寝そべった状態で、ひざを曲げ伸ばしする訓練が始まりました。
午前・午後2時間づつ行います。
この日の午前中は、一番曲がるときの角度を、左120度、右100度に設定しました。
やはり右が曲がる限界に近づくとき痛く、吐き気を感じました。
熱が少しあがりました。午後は右の角度を90度に下げてもらいました。
この角度ではほとんど痛みを感じませんでした。
CPMはその後5日間続きました。左の角度設定は120度のままで、
右は少しづつ上げていき、最終日には120度までいきました。


■〜術後2日目〜
 管が全部とれました。傷の消毒、包帯交換をしてもらいました。
はじめて傷を見ました。ひざ上からひざ下にかけて、内側に弧を描くようにカーブしています。
20cm以上あるかと思います。

 クリーンルームからふつうの病室へ移りました。
 それまで食事のときはベッドに寝て、ベッドごと体を起こしていたのですが、
その日から、自力で体を起こして、ひざ下をベッドサイドにおろして食事しました。
足を上げ下ろしするとき、左は足の筋力だけで上げ下ろしできましたが、
右は手で膝の周囲を支えるようにしてやらないといけませんでした。
 横向きで寝ていいか尋ねたところ、横になるときひねる動作が入りやすいので、
術後間もない人にはこれまですすめていないと言われました。


■〜術後3日目〜
 車椅子に乗り、術後はじめて外のトイレで排泄しました。慣れなくて時間がかかりまし
た。その時点での体力、筋力では一仕事でした。

■〜術後4日目〜
 トイレに行ったあと、ベッドに戻って右ひざを伸ばしたとき、かくんとしました。
そのことを訴えると、腱が、これまで動かさないでいるうちに硬化しているためではないかと言われました。
 食堂で食事をするようになりました。


■〜術後7日目以降〜
(筋力トレーニングおよびその他の運動)
 術後7日目、CPMが終了し、筋力トレーニングが始まりました。
寝そべって、足をまっすぐ伸ばした状態で、上下方向、または水平方向に動かします。
右ひざは、この運動をするために足を持ち上げようとすると、痛くて持ち上げられませんでしたが、
上げ始めるとき軽く支えてもらうと上げることができ、
そのうち支えてもらわなくても上げられるようになっていきました。
術後4週目に入ると、足首の周囲に0.25kgのおもりを巻いて同じ運動を行い、
さらに0.5kg、1.0kgと重さを増やしていきました。
寝そべった状態で、ひざの曲げ伸ばし、足首を動かす運動も行いました。
これらの運動は、退院するまでずっと続けました。
退院後も続けていましたが、股関節に軽い痛みが出てきたので、
現在はおもりを使用せず、足を持ち上げ静止した状態をしばらく持続させるようにしています。


■(ひざの曲がる角度)
 術後2週目には左が130-145度、右が125-140度までいきました。
退院直前(術後9週目)には両膝とも145度くらいでした。
120-130度くらい曲がれば、正座したりしゃがみこむことはできませんが、
いすを使って日常生活を送る上で不便はないと言われています。

■〜術後2週間から5週間〜
 術後約2週間で抜糸しました。

■(水治療)
 抜糸翌日から水治療が始まりました。
水の深さが、胸の高さくらいのプールと、体半分くらいまでのプールの2種類があり、
水中を歩行します。深い方は体重の3分の1、浅い方は2分の1がかかります。
深い方で1週間、続いて浅い方で2週間歩きました。
ひざはほとんど痛くありませんでした。
しかし、手術前から痛かった左足首周辺が痛みました。


■〜術後5週間以降〜
(歩行訓練)
 術後5週間が経過し、全体重かけてもよいと許可がおり、待ちに待った地上での歩行訓練が始まりました。
平行棒につかまって、ゆっくりひざを伸ばしながら立ちました。
ひざをまっすぐ伸ばしても痛くありません。平行棒に軽く手を当てて歩きました。
足がとても重たく感じられ、左足首の痛みはありましたが、
地を踏んで歩くうれしさの方がまさっていました。
立ちあがることができるので、移動のために使っていた板も、この時点で必要なくなりました。

その翌日から、歩行器を使って歩行訓練をしました。
左の外側のくるぶしが少し腫れました。
歩くとき、ひざが伸びきらずやや曲がっているので、伸ばすように意識して歩くよう言われました。
術後7週間が経つ頃、歩行器から一本杖になりました。
退院のめどがついてきて、訓練のとき以外も、車椅子を使わず歩くようこころがけました。


■(日常の応用訓練)
 階段の練習をしました。手すりを持って、または杖をつきながら一段づつ昇り降りします。
付属施設内のプールの利用許可がおり、水中歩行をしました。
人工関節に負担をかけず、なおかつ筋力を保持することが大切ですが、
水中での運動はその目的に適っています。

急な階段や急な斜面の練習をしました。
高い段差の練習をしました。床に座ったり、床から立ちあがる練習をしました。
何もないところから自力で座ったり立ったりするのではなく、
台を利用したり、人に支えてもらったりするようにします。

 退院前に、手術前と同様に歩行分析を行いました。
 足の太さや長さ、筋力を調べました。
膝から10cm上のもも回りが、鍛えたために5mm太くなっていました。
筋力は通常のレベルまで回復していると言われました。
 そして6月8日、手術してから約2ヶ月で退院となりました。



-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-5■ 退院後(H14年9月)-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-

 ひざを曲げ伸ばしすると、コリコリいいます。
右ひざを曲げるとき、軽い違和感のような痛みを感じることがあります。
ひざの皿をたたくと、コンコン音がします。
ずっと座っていて立ちあがるときなどに、ひざの裏側が伸ばしにくいことがあります。
以上のような気になる点はありますが、手術前とは比較にならないほど、楽に歩けるようになりました。

退院後しばらくは杖を使っていましたが、現在は使用していません。
階段を降りるときは手すりが必要です。

 これからは、リウマチの進行に気をつけ、人工関節を大事に使いながら、
仕事を持ち自立するというあらたな目標に向かっていきたいと思っています。
最後に、心配をかけた家族、友人、お世話になった病院スタッフの方々、
励ましてくださった患者のみなさん、リウマチ友の会の方々、
私を支えてくださった全ての人々に感謝します。


1■発病(24歳〜)手術の決意(29歳秋)
 
2■入院から手術前日まで(30歳春)

3■手術当日(入院9日目)

4■手術後退院まで(入院10日目〜2ヶ月後)

5■退院後(入院から5ヶ月後)

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